Vtuberがリアリティショーだというのなら、今までのリアリティショーが間違っていたのではないか

私は三次元の人間によるリアリティショーが大嫌いだから、Vtuberがリアリティショーという言説を見て、それに賛同する意見を見てもイマイチ理解する部分とできない部分がある。

 

私は因幡はねるの配信や切り抜き動画を見る事がたまにある。だが、三次元のyoutuberの顔出し配信なんか(もちろん内容に関心を持てば見るが、積極的に摂取する気はない)に興味はないし、ニコ生の顔出し系配信者にも興味が無かった。それはただ三次元に興味が無いから、なのだろうけれど、それだけでただ似たようなネタを見るようになるだろうか?そこに何か差異があるのではないか?

 

そもそもの発端はリアリティショーでのファンからの誹謗中傷でプロレスラーが1人死んだ、という話だったはずだ。だけどもその事実からして、正直理解しづらい部分を自分は感じる。

一般人がリアリティショーで自殺するのはまだわかる。プロレスラーはむしろ、リアリティショーと似たこと(公然の秘密としてプロレスの試合には演出が存在するし、多くのリアリティショーには演出が存在するはずだ)をやっているはずだ。何故自殺にまで追い込まれる必要がある?

 

自分がこの一件を知ったのは村田晴郎という人間のツイートからだった。だからというわけでは無いが、一つ思い出話のような例え話でもしようと思う。

 

村田晴郎は人の死んだ所を実際に実況したことがあるし、私もその光景をテレビ画面から見つめた事がある。確か自分の年齢は厨二病的な年齢で、その頃は幽霊の美少女がヒロインのロボットアニメなのかよく分からないラノベに心を奪われていた時だった。だから──といっても明らかに異常者のそれだが──私の思考世界の基準はきっとその日に塗り替えられてしまったのだろう。

 

私はノリと勢いである英国人を美少女だと幻視した。その事故が最終戦で、一つの冬を越える必要があったからといっても、その虚構を作ったのは流石にキチガイじみている。でも虚構こそが一つの基準としてこんな怪文書を生み出す出発点となったのだ。

 

"ウェルドンさん"がリアルなら"ウェルドンちゃん"が虚構、バーチャルだ。そこにクロスする余地は無い。死んだ未来とありもしない未来の話なのだから。

 

しかし、リアリティショーという領域は、そこをクロスさせようとする。生身の人間を無人島にぶち込んだり、よくわからない"自称有名人"がテラスハウスで暮らしたり、全員がキリトからのバチェラーを奪いあったり・・

この領域は最も簡単に双方をクロスさせてしまう。演じる人間はリアルでも、エンタメにする最中で意図的、非意図的に一つの虚構として構成されてしまうからだ。実在の人間の、実際の行動であるはずのものが。そんな世界ではきっと、自動車運転に身の覚えのあるどこかのコスプレイヤーが2012年以降ダンウェルドンとしてお茶の間に現れ、村田晴郎は"当然真実を知りながら"彼女をダンウェルドンと実況するのだろう。DDTのよくある一場面のように。

 

感傷的な怪文書になってしまったし、相当極端なお話になってしまったのだが、結論から言ってしまえば、"リアリティショーはそれが虚構だと言わずに、あたかもリアル、真実のように見せている"のが問題なのだ。

プロレスに台本や演出があると言うのはある種公然の秘密で、その中で如何に楽しませてくれるか/楽しめるかという娯楽であって、仮にそのプロレスラーの役が悪役でもウェルドンでもspamでも別に大きな問題では無い。そもそも虚構なんだから、そのキャラクターに乗ってあげるより他が無いのだ。

 

リアリティショーは違う。彼らはまるで事実のようにそれを映し出す。だから『俺はウェルドンだ』なんてキャラがいたら間違いなく叩かれる。そしてそれが成立する以上、そこに出る人間が悪意のある人間なら、それ相応の誹謗中傷もある"べき"だし、それらの誹謗中傷がメンタルを破壊する"べき"である。リアリティショーの演者批判はそのまま人格否定である"べき"だから。

 

リアルではその英国人はラスベガスの金網にぶつかって即死だし、私はその後パジェノーが嫌いになってインディカーを見放した(そしてそれはどうやら正解だったらしい)。

 

話を戻そう。

 

確かにVtuber概念はリアリティショーなのかもしれない。僕らはアバター風評被害を付け加えるし、僕らはアバターアバターレズビアンにさせるし、僕らは僕らの性癖をアバターに投影させるだろう。

しかし、それ自体は別にVtuberに限ったことじゃない。ウェルドンの死からおかしな事を言い始め、trackmaniaの藻屑と消えたcthn490が言うのだから間違いない。因幡はねると神楽めあをレズらせる人間は、ウェルドンとダリオをホモらせる素質だってある。

Vtuberというリアリティショーは、少なくともテラスハウスというリアリティショーやインディカーという"リアリティショーじみた自動車レース"よりかは救いがある世界では無いだろうか。少なくともテラスハウスは1人を自殺に追い込んだし、インディカーの歴史は死亡事故の歴史だ。

バーチャルアバターに自分のプライベートを切り貼りするのと、自分の人格に虚構を切り貼りするの、どちらが楽しいだろう?私は前者だと思う。

そして、数多くの信頼できないものが溢れる世界で、唯一信用できるのは"虚構だと明言されたもの"だけである。だから私は今のVtuberに尊さを覚えるし、trackmaniaのトッププレイヤー、carl.jrをキリトだと言い張るのだ。

 

それでは、frostbelueがウェルドンちゃんになるその日まで。

 

 

 

 

 

 

夏目ことはデビュー配信では初手松本バッチVtuber幻視からやるつもり