モタスポに政治を持ち込むなというナンセンスさとそれでも許せない人へのアドバイス

私個人の意見として言わせてもらうが、『私はレーシングカーとレースを見たいのであって政治を見たいのではない』という人間の為に"こそ"、自動車レースの"政治"は存在しているのだ、と言わせて頂こう。

cthn490という人間は自動車レースを既に見捨てている訳だから、勿論そんな人間から出てくる言葉はそれを馬鹿にする暴論にはなるわけで、それに関しては明らかに私の落ち度ではある。とは言え、自動車レースという営みが他のスポーツに比べて"政治的である"というのは間違いないと考えるし、むしろ2020年代の自動車レースの最重要課題は政治だ。自動車レースの熱心なファンこそ、自動車レースの政治や哲学に向かい合う必要がある。

もしそれが"萎える"と考えるのであれば、今からでも遅くはない。貴方は自動車レースからそれに類似した世界に関心を移すタイミングに来ている。esportsが発展しているこの2020という時間軸において、自動車レースという営みは良くも悪くも変革を迫られるのだから。貴方はEV車のレースを観れるだろうか?FEはもはや馬鹿にできない。貴方はオーバルの少ないインディを許せるだろうか?もうウェルドンを知らないファンすら居そうだ。技術開発のあるレースが観たい?はっきり言うがそんなものはもう既に存在していない!

 

 

"政治の定義"

一応言葉の定義をしておく必要がある。"政治"と表現しているものはザックリとこんな感じだ

・車両規定(クルマ側のルール)

・競技規定(サーキット上のルール)

・サーキット(サーキット)

・経済的側面(色々)

下二つガバガバ過ぎませんかね・・

 

"20年代が何故政治の時代なのか?"

10年代も政治の時代になると思っていたのだが、20年代はその深刻さが増している。

 

①そもそもコロナで目先のレースがガタガタになっている 

 

2020年の自動車レースは壊滅的だったと言わざるを得ない。コロナウィルスのおかげで自動車レースのカレンダーはめちゃくちゃになってしまったし、そもそも自動車レースに注ぎ込めるあぶく銭が引き始めている。以前からネガティブなニュースが流れていたDTMは事実上消滅(DTMはGTカーへのシフトを表明したが、彼の地では既にGTカテゴリは大量にある)したし、ホンダのF1撤退は記憶に新しい(2021年まではやると表明したこと自体が、ホンダというメーカーにとっては偉業に近い)。また2020というのはWECのリニューアル時期に重なっていて、ハイパーカーとかいう謎の規定の始動が目の前に迫っている段階だ。SROの提唱しているGT3系列のカテゴリは、金持ちのあぶく銭を基盤にしているわけだから、世界的恐慌がある種確定したこのご時世、衰退の青写真は既に出来ている。今でこそまだ影響は出ていないが、こういうあぶく銭はタイムラグの後に影響を与えるものだ。

そして最大の問題、自動車メーカーが恐慌に巻き込まれた際、そもそも自動車レースに金や車を出してくれるだろうか?

目先のレース、すなわち"レーシングカーによる美しい営み"そのものが既に危機にあると言っても良い状況だ。政治を誤れば、冗談抜きでモタスポそのものが吹き飛びかねない。故にモタスポの政治経済は今頭に入れておくべきだ。

 

②仮に自動車レースを許されたとして、技術的側面が変革を強要する

 

もし仮に自動車レースが許されるとして、30年代に向けて、自動車レースは電動化を余儀なくされるはずだ。それ自体は大きな問題ではない(電動化が問題だと考えるなら、自動車レースから素早く手を引く事をオススメする。もはや貴方にとってこの世界は泥舟だ)ものの、電動化に関連した技術変革でレースの形が大きく変化を強いられるのは大きな問題たりうる。

根本的な問題として、ピットはどうするのか。ラジコンのようにバッテリーを交換する手段は非現実的だが、20秒の超速充電というのも中々ファンタジーな話という感覚なのだが・・

何にせよ、EVレディに向けての技術理解と規定策定が必要な時代になりうるのが2020である。

 

 

"何故モタスポの政治経済を学ぶべきか"

 

ここまで長々とお話してはみたものの、これだけでは重要性を理解してくれない人の方が多いと思う。

確かに、自動車レースを楽しむ上で、政治や経済などを"観たくない"という層が居ることは確かだろうし、その層を理解しなければならなかった。

私は自分の考えを"押し付ける"人間だと思うし、自分の考えを誇大広告する人間でさえある。

だが一方で、"押し付けなければならない"と感じている部分もある。

一部の無知な人間は、結果でしか物事を判断しない。極端すぎる例で言えば、多くのクラスが乱立していて、全員が成績を狙っているわけでもないニュル24時間の成績でトヨタを叩くような厄介コピペを見たことがある。

しかし、自動車レースの結果そのものは車両規定によって左右されているし、(あくまでも私の解釈として)市販車の性能と競技車両の性能は一切リンクしていない。

自動車レースという営みは、走り屋の違法レースではなく、様々な規則の上にある。ではその規則はどこから来ているか?

世界中の自動車レースの主催者達は、なんらかの思想や狙いを込めて規則を作り上げて運営している。その中には"政治"が良くも悪くも入り込んでしまう。

トヨタというメーカーが既に出ている中で、レギュレーションを作るなら、トヨタに忖度しなければならない要素がどうしても出てくる。だからハイパーカー規定はよくわからないものになってしまったし、だからこそトヨタ"は"ルマンを辞めていないとも言うことができる。良いか悪いかは全くの別問題にしても、そこには高度な政治的理由があるはずだ。勿論、中には政治を排除しているカテゴリもあるだろうし、中には政治しか無いカテゴリもあるだろうが。

 

重要な点は"この世界には政治経済が存在する"という意識を持つ事だ。どれだけ優れたレギュレーションも、プレイヤーが居なければ意味が無い。

F1においてPUが導入された時点で、多かれ少なかれ"エンジンウォーズでF1終わったな"という予想は付く(自動車メーカーの技術競争で均衡した状態が続いているのは我が国の虚無であるスーパーGTくらいだろう。それだって定期的に破綻をきたしている)が、それしか選択肢が彼らには無かったのかもしれない。だとすれば、"僕らはより良いカテゴリを探せば良い"。その為のインターネットのはずだ。達成できない、もしくは他所で達成されている理想をそこに求めるのは無茶な話でしかない。ウェルドン楕円に還らず。

 

 

"美しいレースは美しいレギュレーションにこそ宿る"

もしあなたが、自動車レースという時代遅れの娯楽を楽しみたいと考えるのであれば、自動車レースの政治経済を真剣に考えるべきだし、理想を真剣に考えるべきだ。その結論が技術開発なら、それに一番近いカテゴリを応援すべきだし(あえてWECとは言わない。既に破綻しているからだ)、それがドライバーの争いなら、応援すべきカテゴリは変わる。もし君がメルセデスPUの居る世界が好きならDAZNに貢げばいいし、君が"44歳の29歳"を応援したいならGAORAに金を落として、間接的にタイガースを支援していれば良いと思う。それは自由だ。

 

だが、その理想を持たず、タイヤさえ付いていれば良いと思っている人々は、考えを改めるべきだ。

 

面白いレースを作るのはドライバーではない。君達の忌み嫌う、ブラックボックスそのものなのだから。

 

 

まとめ

 

モタスポ見ながら政治嫌いとか毎年萎えてない?精神大丈夫?

カテゴリが面白くなるかどうかは書面で決まる。そこには思想と政治と経済が横たわる。

政治が無い世界もあるはず。それは君達で見つけなさい。

そもそももっと皆esports観ようよ。それこそ"タイヤが付いてるだけで良い"とか"バトルさえあれば良い"とか言うなら。人死なないし。